「小早川、玲衣」ゆっくりと、言えば天邪鬼は「れい」と唇を小さく動かした。私は頷く。天邪鬼は何か言いたそうな顔をして、私の手を握っていたけれど何を言うでもなくふい、と顔を逸らした。
ぎゅう、と掴まれた手が痛い。
「大丈夫。そんなに力を込めなくても、」
私は離したりはしないから。
「だって、私も良く言われるんだ。捻くれてるって」
と、いうよりは「変わっている」だろうか。顔を逸らした天邪鬼はもう一度私へちらり、と視線を向けた。瞳だけで「本当に?」と問うてくる天邪鬼に、私は笑ってみせる。
「本当だよ」
――ああ、だって。私は「瓜子姫とあまのじゃく」を最後まで読むことができなかったのだ。
呼んだのは天邪鬼の方なのか、それとも私の方なのか。
天邪鬼は――にこり、と安心したように大きく笑い返して「じゃあ、友達になってあげる」そう、押し付けがましく言って姿を掻き消した。手の中に残ったのは、本棚の隅に片付けたはずの紫色の本だ。
「小早川さんも物好きだね」
名島君は本を手にした私に、呆れたように言った。でも、その表情がどこか優しげなのは、多分名島君も私のように「物好き」だからだろう。
ほっとしたように、息を吐き出した岡山君が「ていうかさ、」と掌の中でライターを弄んでいる名島君を軽く睨む。
「さっきの天探女って、僕もあの話知ってるけど。確かな話じゃなくて一つの説、だろう?瑠璃也が変な予習しなければもっとすんなり片付いてたんじゃないか?」
「な、太郎ちゃんは俺のせいだって言うのかよ!確かに、あれは、俺のイメージだけど、」
「普段勉強なんかしないんだから余計なことするなよ。ああいうのは、強いイメージ強いイメージへと魅かれて変じていくんだから」
「小早川さんが気付いてくれなかったら、店が焼けてたかもしれないな」そう、珍しく皮肉気に言う岡山君に、名島君も負けじと「ああ、だから三輪さんに変化したわけか。太郎ちゃんの苦手なつよーい叔父さんだもんな」と言い返す。
「俺がどうしたって?瑠璃也」
「み、三輪さん!?」
いつからそこに立っていたのだろう。「瑠璃也がウチの敷居を跨ぐなんて珍しいじゃねえか」と唇の端を吊り上げるスーツの男の人は、例の「岡山君の叔父さん」らしい。その三輪さん、とやらの顔を見た瞬間、名島君は思い切り顔を引き攣らせて私の手を掴んだ。
「名島君?」
「逃げよう、小早川さん。ここに居ちゃ駄目だ」
「お、おい、瑠璃也!?」
「太郎ちゃん、またな!三輪さん、お邪魔しました!」
後ろから聞こえた岡山君の抗議に、名島君は小さく謝りながら走りだす。
「あのオジサン、怖いからね。小早川さんみたいな子は捕まったらひとたまりもないよ。勿論俺も」
子供っぽく笑う、名島君につられて私も笑い返す。
「名島君ってさ、」
「うん?」
――名島瑠璃也という人間は、少し変わっている。
「普通じゃないよね。何て言うか、名島君みたいなタイプ、」
結構、好きかもしれない――。
深い意味はなかったのだけれど、口にした瞬間名島君は「なっ、」と顔を真っ赤にした。意外に初心らしい。
「私も、仲間にいれてくれると嬉しいな。瑠璃也君」
考えてみるだけではなくて、そう、言葉にしてみようと思ったのは手の中にひんやりとした天邪鬼の手の感触が残っているような気がしたからだ。天邪鬼が私を選んだのは偶然だったのかもしれないけれど、せっかく出来た繋がりを無駄にしてはいけない、と思ったから。
名島君は赤い顔をしたまま、「こちらこそよろしく。玲衣さん」そう言って、繋いでいた手をバっと離した。
-了-