――世の中にはね、何て言うか、信じられないことがたくさんあるんだよ。
「瑠璃也、それじゃあ判らないだろ」
「ううん、でもなんて説明したものか・・・まあ、小早川さんは天邪鬼に瓜子姫と間違われてるって、言えばいいのかな。本の中には思念が強いものがあって、例えば、霊感が強い人が幽霊を見たりするように、条件がぴったり合っちゃった人はこういう現象に巻き込まれたりするんだって言えば、判る?」
「なんとなく・・・」
普通ならとてもじゃないけど信じられない。でも、名島君や岡山君が私をからかっているようには見えなかったし、何より私自身天邪鬼を見ている。
頷く私に、名島君は「良かった。頭おかしいんじゃないかって、思われたらどうしようかと思ったけど」とほっとしたように息を吐き出した。
「瑠璃也、まだ安心するには早いだろ」
「判ってるって」
「具体的には、どうすればいいの?除霊とか、できるの?名島君」
「いや、霊じゃないから無理。そもそも俺には霊感ないしね」
「ええ!?」
じゃあ、一体どうするつもりなんだろう。
途方に暮れる私に、岡山君が「大丈夫だよ」と言って手近にあった引出しの中からお札を何枚か取り出した。
「こういうのは本来叔父さんに任せておきたいんだけど、あの人はお金にならないことはやらないから・・・僕や瑠璃也で、あれを止められるかは不安なんだけど」
「少しでも足止めができればね、いざとなったらこれ」
「こういう乱暴なことはしたくないんだけど」と微かに眉をしかめながら名島君はポケットの中からライターを取りだした。
「本体、紙だからさ。何より、今回は小早川さんの安全が優先」
私は少しだけ安心して、胸を撫で下ろした。
頭の中はまだ軽く混乱している。けれど、解決策があるというのは心強かったし、こんな異常事態に慣れているかのように落ち着き払っている名島君と岡山君を見ていると、何とかなるんじゃないかという気もしてくる。
安堵に体から力が抜けて、座りこむ私に岡山君は笑って、「今お茶淹れるから」と奥へ行こうとした。けれど、
「ただいまァ。おい、太郎。何で電話に出ねェんだよ」
外から聞こえた声に、表情を強張らせた。甘くて、けれどどこか高飛車な声は、岡山君の叔父さんのものであるらしい。
「お、叔父さん!?」
「しかも鍵!早く開けろよ」
「わ、すいません!」
慌ててがちゃがちゃと、引き戸の鍵を開けている岡山君の肩を、ふ、と何かに気付いたらしい。名島君が勢い良く引いた。
「駄目だ、太郎ちゃん!」
「え?」
名島君の制止は一足遅く、がらん、と戸を開け放った瞬間に、突風が吹きこむ。戸の向こうにいたのは、大人の声とはかけはなれた小さな、影。子供の姿をしたそれに、私は見覚えがあった。
「あ、天邪鬼、」
天邪鬼はぎょろりとした瞳をこちらへと向けて、「うりこひめ、」と罅割れた声で言った。子供の姿が、次第に変貌する。骨と皮だけの、細い腕。ばさり、と伸びた白い髪。鬼女のような、その姿は絵本で見る天邪鬼とは、違う。名島君がぽつり、と「天探女の慣れの果てだよ」と呟いた。
「天探女って、小早川さんは知ってる?」
「え?」
私は首を左右に振る。
名前だけは聞いたことがあるような気がしたけれど、具体的にそれが何であるのかは知らない。そんな私に、名島君は視線を天邪鬼へ向けたまま、話し始めた。
「日本神話の中に、天探女って女の神様が出てくる。天探女は人の心を読む力を持っていて、高天原の使者として地上に遣わされながら、天若日子に高天原から天照大神の詔を伝える使者として雉名鳴女が派遣されてくることを伝えてしまうんだ。もともと、天若日子は地上の大国主神を服従させるために高天原から遣わされた神だったんだけどね。大国主神の娘である下照比売との恋に溺れて使命を放棄してたから 天探女から雉名鳴女が「任務を遂行するように」と催促に来ることを知らされた天若日子は、雉名鳴女を射殺してしまった。そうして、天若日子に余計なことを言った天探女はひねくれた悪神とされ、天の邪魔をしたということから天邪鬼という妖怪のルーツになってるんだって言われてる」
――そんなことを急に言われても、
(日本神話、瓜子姫と天邪鬼。神、妖怪・・・)
非現実的な話ばかりで、どうすれば良いのか判らない。だってそれは数日前まで――否、今日、名島君や岡山君からそんな話を聞かされるまで、本の中にのみ存在する架空の生き物であったからだ。
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