まだ少し腫れぼったい眸を瞑れば夢の中の情景が鮮やかに蘇る。光のない世界。暗闇。獣の形をした影。そして深紅色をした、様々な感情の浮かぶ瞳。悲哀絶望憎悪希望、それら複雑に入り交じった感情は、夢の記憶を祖父に説明することで夢の中より明確な形で辰史の胸中へ生じてその幼い胸を掻き乱した。
話しながら、辰史は服の袖で目元を擦る。ちら、と祖父を見上げれば、尊は白い顎髭を撫でて何やら考えているようであった。
「おじいさま?」
声をかければ、尊は黒曜の瞳を辰史の上へと下ろし、
「それは、お前の運命だよ。辰史」
そう、言った。
――運命?
辰史は咄嗟に祖父の言葉の意味を酌むことができず、首を傾げる。尊は頷いた。
「御祖母様が持っていた先見の力が、お前にも少しだけ出てしまったらしいね」
「せんけん?」
「ああ。先を見る力――つまり、お前は近い将来にその夢に見た女性と出会うということだ。今ではなく、もう少し大きくなった頃に」
「いつ?」
怖いような、もどかしいような心持ちで辰史は問うた、が、尊はやんわりと首を左右に振っただけだった。
「それは私にも判らない。否、私だから判らないというべきか。何せ辰史。お前の運命だ。お前以外には知り得まいよ」
――だから、大きくなって〈彼女〉に出会ったら。
「その時に、助けてあげなさい」
柔らかで力強い声に辰史はびくりと肩を振るわせる。胸の内を支配したのは、夢の中の情景が今のところは現実ではないのだということを知った安堵と、しかしそれがいつか必ず直面する未来であるのだと指摘された不安であった。それも、この偉大な祖父でさえ知らぬ己の運命であるという。己だけの。
「ぼくに、できますか」
辰史は掌を見下ろした。
小さな手だ。夢の中ですら何をすることも何を掴むことも、触れることすら叶わなかった無力な手に思わず胸中の不安を零せば、再び尊の大きな掌が頭上へ落とされた。
わしゃわしゃと、撫でる手に眸を細めればその拍子に目尻へと溜まっていた涙が一筋、零れ落ちる。尊はそんな孫の様子を見て小さく苦笑した。
「できるさ。お前は辰の子だからね」
「・・・・・・」
「だからもっと自分に自信を持ちなさい。傲慢で気高く強い生き物。それが、龍だ」
「傲慢で――」
――けだかく、つよい、いきもの。
辰史は尊の言葉を口の中で反芻する。力強いその言葉こそ龍の言葉なのではないかと思われた。「そうだ。誰より特別な、」子守歌のように優しく鼓膜へと響く言葉に辰史の不安はゆっくりと溶け出してゆく。
(傲慢で気高く、強い)
(ぼくは――)
いや、と辰史は小さく首を左右へ振る。〈ぼく〉というのはいかにも弱々しい気がした。
(ならば、俺は龍になろう)
あのひとの、ために。
ずっと握りしめていた掌をゆっくりと開く。血の巡りが止まり、白かった掌へとじんわりと赤みが差してゆくさまを眺めながら辰史は再び眸を瞑る。瞼の裏にはやはり〈彼女〉の深紅色をした瞳が映った。悲しい瞳だ。けれど、美しくもある。
――俺の、運命。
口の中で呟いた言葉は酷く、甘かった。微かな不安がまだ心の奥底で燻っていたが、言葉を噛みしめた後には焦がれるような切なさだけが残っていた。
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