地獄の沙汰も金次第――
業を背負う覚悟と支払う金があるのなら――その恨み、蛟堂に預け
てみませんか?
悪いようには致しません。
「一週間以内に、」
――必ずや片を付けてみせましょう。
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蛟堂店主 三輪辰史
狭い道路の脇に、店が所狭しと押し込められたように立ち並ぶ。古
びた不動産屋だとか、客が入っているのか判らないブティックだとか
、路上に水を垂れ流す魚屋だとか、偶に近年になって作られた綺麗な
コンビニやファーストフード店、ケータイショップなどが入っていて
、酷くちぐはぐに見える。そんな、どこにでもある商店街の一つ通り
を入って、角を三つ四つ曲がった所謂裏通りに、その店はある。
古書店「幻影書房」――の右隣。日本造りの平屋がある。真白い壁
に藍色の瓦が乗った、時代を感じさせる家屋、外には何故か時代劇に
出てくる茶屋のような、赤い布の掛けられた長椅子がある。瓦の上に
取り付けられた横長の――杉、だろうか、檜だろうか。材質までは判
らない――看板には筆で書いたような文字で大きく「蛟堂」と書かれ
ていた。
隣の古書店がさながらアンティークショップのようであるだけに、
百八十度違う様式の建物が隣り合う姿は一種異様のようにも見える。
しかし、幻影書房も蛟堂も江戸の中頃から変わらずそこに存在してい
るという点から見れば、この二つの店は列記とした古馴染であった。
店の中では、玄関を上がった次の間に黒スーツを着た男が座ってい
る。歳の頃なら三十前後。黒髪を適当に後ろへと撫で付けて煙草の煙
を燻らせている。薄い唇を開いて紫煙をフウ、と吐き出すと蛟堂十二
代目店主である三輪辰史――「たつふみ」ではない。「ときふみ」で
ある。名前を読み違えられることが、男にとって一番不快であったか
ら気をつけなければならない――は、その蛇を思わせる眸をすう、と
細めた。
骨張った長い指でまだ大分長い煙草を挟むと、脇へと置かれている
紅縞瑪瑙の灰皿へとそれを押し付け「それで、」と耳に当てた黒の携
帯の通話口に向かって口を開いた。
「この写真の男――末永崇之で間違いはありませんね」
丁寧だというのに、どこか横柄に聞こえる口調で訊ねる三輪に、女
は暗い声で「はい」と弱弱しく頷く。資料の写真に間違いが無いとす
れば若い女だ。だが、声は疲れ果てたように憔悴して、幾らか老いて
いるようにも聞こえる。
畳の上へとぞんざいに放られた、書類と一緒に留められている写真
を指でとん、と叩きながら三輪は携帯の向こうの女へと探る様な声を
向けた。
「しかし、本当に良いんですか。うちを頼るってことはつまりは業を
背負うってことだ。素直に司法に任せておけばいいんじゃないかとも
思うんですがね」
「いえ、」
女は小さい声で、けれどきっぱりと否定する。それ以上は言葉を口
にしようとはしなかったが、決意は変わらぬようである女に三輪は内
心でやれやれと溜息を零す。――まあ、こっちとしては金さえ支払わ
れれば問題はないのだ。そう、いつものように結論づけると女へと殊
更明るい声で言った。
「一週間以内で片をつけますので、朗報をお待ちください」
***
「で、その依頼を引き受けたんですか。辰史叔父さん」
「仕方ねえだろ。可哀想に、式の当日で逃げられた挙句500万を搾られ
たんだと」
黒のスーツ――恐らくはどこか高級ブランドのものなのだろう。酷
く着崩しているのに皺はない――を肩に羽織って、だらしなく薄青色
のシャツの裾をズボンの外へと出したまま、脇息に肘を掛けて煙草を
吸っている叔父の姿に、岡山太郎は温和な顔を少しだけ引き攣らせた
。
叔父――三輪辰史は太郎の母親の弟である。三輪家というのは古く
から修験者やら巫女といった特異な職業を生業にしてきた一族で、現
代でも蛟堂を継いだ辰史以外にも叔母は恐山で市子をしていたし、伯
父は上海で何やら如何わしげな薬を取り扱っている。
太郎の母親は、長女であるにも関わらず兄弟姉妹の中で唯一そうい
った性質を受け継がなかったらしい。今は外へと嫁いで岡山姓となり
、雑貨店を開く父親と共に買付けのために海外へと飛んでいた。
その間太郎が辰史に預けられたのは、何も兄弟姉妹の中で辰史が一
番まともな生活をしているということが理由ではない。大学生ともな
れば、親がいなくとも生活をしていくことは可能である。むしろ、幼
い頃から両親共に店に出ていて家のことを手伝う機会の多かった太郎
は、同級生らに比べると料理も大分上手かったし、洗濯や掃除の手際
も良かった。
今も、太郎は酷く億劫そうに眉を顰めて煙草を吸っている叔父の向
いで洗濯物を畳んでいる――と説明すれば判るように、太郎の母親が
心配したのは実の息子ではなく弟の方であったのだ。
兄弟の中でも一番の問題児、と言われてきたのが辰史である。辰史
は金に敏い。また、兄弟の中では一番三輪家の特異な性質を強く受け
継いでいる。末子でありながら陰陽道やら呪術やら薬学といった、兄
弟たちがそれぞれ能力を発揮しているどの分野においても一定の水準
を超えて精通している。それは辰史が努力家であったとかそういうこ
とではなく、ただ純粋に才能の問題であった。
その代り――というのもおかしな話であるが、辰史には料理を始め
とする生活能力がまるで無かった。口も悪ければ性格の方も、お世辞
にも良いとは言い難い。そろそろ三十にも差し掛かろうというのに結
婚願望は無いのか、そういった相手がいる風でもなく時折店番を太郎
に任せてはどこかへふらりと出掛けて行く。
「もういい歳になるんだから、いい加減遊んでばかりいないで落ち着
きなさい!」
兄弟の中でも、この自堕落な末の弟を一番可愛がっていた反面で心
配もしていた太郎の母親は、お目付け役も兼ねて自分の良く出来た息
子を蛟堂へと置いていったのだった。
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