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「迷惑じゃないなら、お邪魔させて貰いたいけど……」
「迷惑じゃないって。うちの母さん、お前のこと好きだしさー。多分今頃鬼堂さんが一人で夕食の下ごしらえしてるはずだから、先に行って手伝ってあげてくれよ」
どこぞの三輪さんとは違って謙虚で礼儀正しい太郎は、うちの母さんのお気に入りだ。とりあえず太郎を招待できただけで俺の使命は七割方終わったと言って良いかもしれない。
広敷に座ってスニーカーを履く太郎は、俺の言葉に不思議そうな顔をした。
「先に行って……って、瑠璃也は?」
「俺は、ちょっと稲荷運送と比奈さんちに顔出してくる」
確かあきらが今日は早番で夕方には上がると言っていたはずだから、三輪さんの代わりに誘えばいいだろう。比奈さんも来ると言えば一発だ。あきらは三輪さん曰く「悪ガキを気取ってるくせに、笑えるほどに一途で一生懸命」なんだそうだ。
比奈さんが今日は公休だというのも、既にチェック済みだ。――というか、本来なら俺は今日、比奈さんとハロウィンのスイーツバイキングに繰り出すはずだったのだ。三輪さんが、「お前は……! 何でそういうイベントの時に恋人の俺じゃなくてよりによってこんな可哀想なガキと過ごそうとするかな」とごねたせいで行けなくなってしまったわけだけど。
(あれ? てことは、三輪さんが出かけた先って、もしかして比奈さんちなのかな?)
まあ、行けば判るか。
俺は深く考えずに、まずは稲荷運送へ向かうことにした。いつだって、深く考えないのが自分の長所だ――と、俺は思っている。周囲からは楽天家だ、呑気だ、と言われるけれど、悩みすぎて動けなくなるよりよっぽど良い。確かに、その分失敗することも多いんだけどさ。
「じゃあ、先に行くけど……。その鉢植え、持って行こうか? それ持ったまま電車に乗るの、大変だろ?」
気の利く親友はそう言って、ジャック・オ・ランタン型の鉢植えを持って先に俺の家へ向かったのだった。俺は一人、電車に揺られて一つ先の駅へ向かう。
大小様々なビルの建ち並ぶビジネス街の間を縫って歩いてゆけば、ビルとビルの間にひっそりと佇む、稲荷運送の営業所を見つけることができる。バイクが駐まっていなければ、その古びた黒いビルが営業所として使われているだなんて誰も思わないだろう。
俺はビルとビルの間に無理矢理作られたような、銀色の螺旋階段を上る。
上りきった先には一枚の扉があって、そこには白狐と黒狐が太極印を象ったロゴシールが貼られていた。
――黒狐は比奈さんの御霊だろう。白狐が、何なのかは俺には判らないが。
不思議に思って、一度あきらにこのロゴの由来を訊いたことがあるのだが、あきらも「さあ?」と首を傾げるだけだった。
あいつも大概いい加減な奴だから、比奈さんさえ居ればあとはどうだっていいらしい。
(ま、今度比奈さん本人に訊いてみればいいか)
――と思いつつ、いつも本人を前にすると訊き忘れてしまう。そんな程度の疑問なのだ。
俺はコン、コンと軽くノックして、ドアノブを回す。
外観からは想像ができないほど、中は綺麗だ。奥の扉から、ひょこっと顔を出した烏羽さん――ドライバーの烏羽京さんが、俺の姿を見つけると「あきら、瑠璃也坊ちゃんが迎えに来てくれたぞ」と声を張り上げた。
「京さん、こんにちはー。trick or treat!」
「へへ、そう来ると思ったぜ。ほら、お菓子」
おおお!
烏羽さんは得意げに胸を張って、俺の目の前に綺麗にラッピングされた袋を突き出した。
「お菓子の詰め合わせですか?」
「おう。中身は見てからのお楽しみな」
「さっすが烏羽さん! サービス精神旺盛! よっ、色男!」
「もっと褒めてくれてもいいんだぜ」
俺と烏羽さんがそんなやり取りをしていたら、常盤さんが呆れたような顔を覗かせた。
「何馬鹿なことやってんのよ。それ、用意したの所長じゃないの」
常盤さん――副所長の常盤緑さんは、今日は比奈さんの代わりを務めているらしい。いつものドライバー用の制服ではなくスーツにぴしっと身を包んだその姿は典型的な「できる女」だ。
烏羽さんは唇を尖らせながら、常盤さんを振り返った。
「ばらすなよ、緑ちゃん」
烏羽さんが唇を尖らせる。
――どうやら、ハロウィンサービスというやつらしい。
稲荷運送の営業所は小さいけれど、得意先もある程度決まっているからできることなのだろう。常盤さんは腰に手をあてた格好のまま、「所長が思いついたのよ。ああ見えて、こういうイベント好きだから」と説明してくれたのだった。
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