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 と、まあそんなわけで、母さんと付き合いの長い鬼堂さんは我が家の食卓事情(?)をよぉっく知っていたから、うちに来る時には大抵「私が作りますよ、秋子さん」と進んで料理を作ってくれた。
 鬼堂さんがフライパンや菜箸を持ってキッチンに立つ姿はなかなかに想像し難いものがあるかもしれない。けれど、あの人は見た目通りものすごく器用で、俺が店でしか食べたことがないような料理を鼻歌交じりに作ってしまうのだ。その料理の腕前は万年主夫(というか雑用)をやっている太郎に匹敵する。
(今日はデザートにパンプキンパイも付けてくれるって言ってたしなぁ)
 普段は得体の知れない古書店の店主をしている鬼堂さんだけれど、母さんと一緒にいる時は本当に普通の好青年になる。いや、好青年なんだから普通ではないのかもしれないし、母さんと歳が近い鬼堂さんはもう青年ではないのだが。――見た目の、話だ。
 まあ、それはともかく。
 俺が何をしているかといえば、バイトもなくて暇を持て余している――わけでは勿論ない。母さんに頼まれて、飾り付け用の花を買いに来たのだ。それが今腕に抱えているジャック・オ・ランタンの形をした鉢植えで、あとは何人か知り合いを夕飯に招待すれば俺のお使いは無事に終わる。

「瑠璃也、六君はきっとはりきってたくさんお料理を作ってくれるだろうから太郎君も呼んであげなさい。ついでだから辰ちゃんや比奈ちゃんにも声をかけてきたらいいじゃない」

 太郎はともかく、三輪さんは嫌がるんじゃないかなぁと思ったけれど、母さんにそう言われたら俺は従う他無い。
 うちの母さんは鬼堂さんのように不思議な人でも、三輪さんのような異能者でも、比奈さんのように狐憑きなわけでもない。俺みたいに思念に好かれる体質なわけでもないし、太郎のように思念を「視る」ことすらできないただの一般人だ。けれど、何故か――それでもうちの母さんは三輪さんや鬼堂さんを顎でこきつかってしまうほどに強かった。一般人であるが故の鈍感さというか、厚かましさが、母さんの強みなんだろうと思う。



 踏切を渡って、大通りを奥に入る。角を三つ四つ曲がる入り組んだ道程も、慣れてしまえば迷う程ではない。道路沿いに並ぶのは寂れたような不動産屋だったり、小さなラーメン屋だったり。地域住民のみが知るような裏通り商店街の更に奥を目指せば、見慣れたアンティークショップ風の店が見える。――幻影書房だ。
 けれど生憎、今日の目的地はもう一件先にある。
 ――蛟堂。
 幻影書房とは180度くらい趣の違う、日本造りの平屋。真白な壁に藍色の瓦を乗せた、時代を感じさせる家屋だ。外には時代劇に出てくる茶屋のような、赤い布が掛けられた長椅子が置かれていて、俺はいつかそこに座って団子を食べるという密かな野望を抱いている。
 木製の引き戸には、「春夏冬 五合」――商い繁盛、と読むらしい三輪さん直筆の貼り紙がされていたが、残念なことに俺はこの店が賑わっているのを一度たりとも見たことがない。
 俺は普段なら極力触れないようにするその戸に、片手をかけてするすると引いた。

「こんにちは」

 そう、声をかければ丁度口の間に居たらしい太郎が顔を覗かせた。

「あ、瑠璃也」
「やっほー、太郎ちゃん。trick or treat!」

 やっぱハロウィンの挨拶といったらこれが基本だろう。特に悪戯を考えていたわけではないから、お菓子を貰えなくても何もできないんだけどさ。
 太郎は一瞬だけぽかん、と口を開け――俺が腕に抱えたジャック・オ・ランタンの形をした鉢植えを見て、今日が何の日かを思い出したらしい。呆れたような顔をしながらも、ガムを一枚投げて寄越した。

「何だよこれ、ブラックじゃんか!」
「仕方ないだろ。僕も叔父さんも、甘い物はそんなに食べないんだから」
「ちぇ。まあいいや」

 ジーンズのポケットに貰ったガムを押し込みながら、俺はきょろきょろと家の中を見回す――「あれ、三輪さんは?」と、この家の主人の姿を見つけることが出来ずに問えば、

「ああ、叔父さんね。昼頃にどこかに出かけたみたいだよ」

 と、太郎は肩を竦めて言った。

「仕事かなぁ」
「どうだろうね。ご機嫌だったみたいだけど。何で?」
「今日うちに夕飯食べに来ないかって、訊こうと思ってさ。太郎ちゃんは勿論来るだろ?」

 まあ、本人にしてみれば不在にしていて幸いだったかもしれない。三輪さんだって、甥っ子の前でうちの母さんに張り倒されたくはないだろう。あの人はいつだって、やれ態度が悪い、目つきが悪い、余計な一言を言う、と何かしら母さんに詰られては反抗して殴られるのだ。




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