「あれ、あきら。早かったじゃない」
「ええ、まあ。つうか、早く帰ってこいっつったの常盤サンじゃないですか」

 営業所のドアを開ければ、副所長の常盤緑が意外そうな顔で出迎えた。丁度配達から帰ってきていたらしい、石竹桃などは遠慮もせずに、
「ショチョーのところに行ってたんじゃないのぉ、あっちゃん。良い子ね〜ってなでなでして貰えなかったの?」
 と、ぶすっとしたあきらの顔を覗き込んだ。

「なでなでって……俺はガキじゃねえっすよ。桃サン」
「ああ!もしかして三輪さんが来てたとかぁ。昨日の帰り、ショチョーすごく機嫌良かったもの。大好きなショチョーに邪険にされちゃった?あっちゃん可哀想〜」
「ち、ちげーっすよ!邪魔したら大人げないと思ったから、素直に帰ってきたんです!俺が!」
「冗談。あんたのどこにそんな余裕があるのよ」
「常盤サン!」
「傷ついてますって顔しちゃってまあ。大人げないおじさんに見せつけられたんでしょ。どうせ」
「緑ちゃん!そういう言い方しちゃ駄目でしょ!あっちゃん、ごめんねぇ。緑ちゃんの口の悪さは異常だからぁ。だから男に逃げられるんだって罵ってあげていいから泣かないでねぇ」

 零れ落ちそうな程に大きな瞳をきゅるるんっと潤ませて桃は爪先立ちで背伸びをするとあきらの頭へ手を伸ばした。後ろでは常盤が「どの口がそれを言うんだか」と毒づいている。よしよし、と撫でる桃の手をはたき落として、あきらはそんな二人をキッと睨み付けた。

「ガキ扱いしないでください」

 言ってしまってから、それが酷く子供っぽい言葉であったように思われてあきらは顔を顰める。

「子供扱いなんてぇ」

 桃は困ったように眉を八の字にした。

「こら!あきらちゃん、桃に八つ当たりしないの」
「してねえっすよ!」

 ――何で俺が。
 おろおろとする桃を見かねたのだろう。窘めるような常盤の言葉にあきらはむっとして言い返した。

「そもそも先に俺をからかったのは二人じゃないですか」
「そういうつもりじゃなかったんだよ。本当に。ねえ、緑ちゃん」
「いや、まあそういうつもりだったんだけどね。私は」
「緑ちゃぁん!またそういうこと言って……」
「もういいっすよ。残りの配達行ってきます」

 ぷいっと二人から顔を背ける。ドアを思い切り閉めて、エレベーターで倉庫の方へと降りればバイクの荷箱へ荷物を詰めていた烏羽京が振り返ってあきらの顔を見るなり苦笑した。

「副所長、黙ってりゃ美人なのにね」
「烏羽サン、俺まだ何も言ってませんよ」
「言わなくても判るって。俺もさー、ここで働き始めたばっかの頃は苦労したんだぜ。何せ、ほら、あきらが入る前までは男って俺と長春だけだろ?所長を筆頭に副所長、桃ちゃん、梅ちゃん、ちーちゃんってみんな顔は良いからさ。うわ何この職場、ハーレムじゃんうっひょいとか思ってたら中身はアレだし。アクが強いって言うかなんて言うか、やっぱ人間顔じゃないんだよなって勉強になったけど」

 ぺらぺらと喋って、肩を竦める。

「あきらもさー、もっと建設的な恋愛を探した方が良いぜ。なんだかんだで所長が一番アレだからな」
「アレってなんですか。アレって」
「一筋縄ではいかないし、男の趣味も悪い」

 きっぱりと言い切った烏羽に、「成程」と頷きかけてあきらははっと我に返った。ぶんぶんと首を左右に振って否定すれば、烏羽は鼻を鳴らして笑う。その瞳には若干の、同情。

「そんな律儀でジュンジョーなあきら君の想いがいつの日か実りますように、と願いつつはい、配達よろしく頼むぜ」

 背中をぽんっと叩かれながら、あきらは何と返せば良いか判らずに「はあ」と生返事をした。とりあえず配達が先だろうとバイクに跨る。アクセルを回せばヴンッと激しいエンジン音――と、共に耳元で何かが囁いた、気がした。
 ――なんだ?
 首を傾げながらも、あきらはそのままバイクを走らせる。再三、耳朶がちくりと痛んだがやはりそれもピアスが合わぬせいだろうと思うことにしてブレーキはかけずにただ、顔をわずかに傾けて右耳を肩へこすりつけるに留める。
 その瞬間、
 ――あおうか。
 囁くような、声が聞こえた。
 唸る風の音が聞かせた、空耳か?
(多分、そうだろう)
 軽く頷く。きっと自分は疲れているんだ。残りの荷物を届けて定時には上がろう。比奈さんもいないことだし――と、あきらはバイクの速度を上げる。


 ***


 首筋を唇でなぞれば、比奈はころころとくすぐったそうな笑い声を上げた。絡めた指、重ねられた掌がほんのりと互いの熱を伝える。見上げる比奈の瞳が鳶色よりももう少し明るく染まりかけていることに気付いて辰史は唇の端をにんまりと歪めた。

「欲情してますか。比奈さん」

 丁寧に指摘をしてやりながら、目元へ口付ける。「目、真っ赤だぜ」感情の判りやすい恋人の耳元へ囁けば、みるみる顔も赤くなる。面白い恋人だ、と辰史は喉を鳴らして、まるでガラス玉のような比奈の赤い瞳を覗き込んだ。
 紅の世界に映るのは、不敵に微笑を浮かべる男前――つまりは、自分だ。と、そんなどうしようもなくナルシストな思考を弄びながら、必死に言い訳をしようとしている比奈の唇へ噛み付く。
 自信家で傲慢な男が宿主に何をしようとしているのか、敏感に察知した〈狐〉が比奈の影から「いい加減にしろ」とでも言いたげにのっそりと頭をもたげたが、辰史は爪先でそれを再び影の中へ押し込むと、掻き抱いた比奈の背――服の中へ手を滑り込ませた。制止の声よりも早く、ぱちんと下着の留め具を外して上着ごと捲り上げる――
 インターホンの音が来客を告げたのは、視界に豊かな双丘がちら、と映った瞬間である。
 ぴんぽーん、と高めの機械音が鳴り響いた瞬間に比奈の耳がぴくりと動いて反射的に突き出された両腕が力一杯辰史の胸を押し返した。狭いソファの上でバランスを崩した辰史の身体が床へと落ちる。

「ご、ごめんなさい!辰史さん……」

 と、言いつつも服の乱れを直して玄関の方へ駆けてゆくのだから女とは怖い生き物である。

「くそっ、どこの馬鹿だ。邪魔しやがって」

 辰史はぶすっとした顔で床へと転がっていたが、

「あ、太郎君!?」

 玄関の外でインターホンを鳴らした相手の名を、驚いたように呼ぶ比奈の声に慌てて立ち上がった。

「なっ、」

 ――何で、甥っ子がここに。
(ばれたか?)
 思えば甥っ子以外の誰もが比奈と自分の仲を知るこの現状で、付き合いを誤魔化せていたことの方が奇跡である。
 そろそろと移動して、壁際にぴたりと張り付けばどうやら訪ねてきたのは太郎だけではないようだった。

「突然すみませんね、比奈さん」
「鬼堂さんに、瑠璃也君……それと、」
「や!君が稲荷運送のお嬢さん!初めまして〜。愚弟がいつもお世話になってます。六さんや太郎から話は聞いてるんだ。いつもうちの愚弟に扱き使われてるそうで…ほんと、ごめんね。兄としてどうお詫びをしたらよいものやら、近いうちにお茶でもどう?いいお店知ってるんだ。上海の方にあるんだけどね。ああ、大丈夫。飛行機も俺が手配するし、俺の店、辰ちゃんちより広いからさ。一人二人泊まっても平気っていうかむしろどんと来いみたいな――」
「ええと、こちらは……」

 喋りだしたら止まらない不審な男に困ったように首を傾げる比奈に、太郎が勢い良く頭を下げる。

「……すみません。僕の叔父です。本当にすみません。辰史叔父さんといい、秋寅叔父さんといい、ろくな親族がいなくてすみません」

(つうか、何で秋寅のヤローが一緒に来てるんだ!)
 壁際で甥の謝罪を聞いていた辰史はぞっとしたように両腕で肩を抱いた。自分のあずかり知らぬところで兄が比奈と出会っていてもそれはそれで腹が立つが、流石にこの状況はまずい。実に、よろしくない。変なところで鋭い兄である。

「それで、皆さんお揃いでどうかしたんですか?」

 比奈の声が大きくなる。――勿論、自分に気を遣ってのことだろう。辰史は部屋の中を見回す。まさか奴らが部屋の中に入ってくるなどということはないと思いたいが……

「どこから説明したものでしょう。とりあえずは緊急事態なんですが、外で話せるような内容でもないので……何よりこの大人数ですし、中へ入れて頂けませんか?比奈さん」

(あの馬鹿本屋!)
 気付いているのかいないのか、あっさりと恐れていた言葉を口にした鬼堂を辰史は胸中で罵りながら手近なクローゼットの扉を音を立てぬよう引いた。比奈はすっかり困ってしまっているのだろう。けれど何もない――ふりをしている以上は断ることもできずに、

「は、はい。ちょっと、待っていてください。部屋が散らかっているので……」
「そんなこといって、比奈さんの部屋はいつだって片付いてるじゃないですか」
「緊急なんです。あきら君が、辰史叔父さんのせいで大変なんです!」

 瑠璃也と太郎にまでそう言われては、比奈は首を縦に振るしかない。辰史は舌打ちをしながらクローゼットの中へするりと身を隠した。






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前回あきらのターンが来るとか言ってたね。来なかったね。可哀想でごめん。