百合の花をあしらった落ち着いた金色のドアノブを握り、手前へと引くといつものように蝶番がぎしりと音を立てる――同時に、右耳へと僅かに走った痛みに、小さく呻けば背後から「あきら君?」と太郎が怪訝な声で問うた。思わず右手で耳たぶへ触れる。そこには最近買ったばかりであるブラックステンレスのピアスが付いているのみで、特に異常は感じられない。
「どうかした?やっぱさっきの――」
「何でもないッス!ちょっとピアスが合ってないみたいで、多分」
何でもかんでも怪奇現象と結びつけてたまるか。半ば巻き込まれたくない一心でそう返しながら外へと足を踏み出す。
大分暖かさを増した陽射しにてらてらと照りつけられて、何となくほっとしながらあきらはバイクに跨った。
***
「やほー!太郎、久しぶりィ。元気だった?」
そんな鬱陶しいテンションで蛟堂の戸を開けたのは、太郎の叔父である三輪秋寅だ。
土間に掛けられた時計の針は既に十六時を回っている。傷んだ髪を大雑把に後ろでくくった男は、胡散臭さを増幅させている黒の遮光眼鏡を外してシャツの大きく開いた襟元へとかけると、シチューの匂いに「さっすが太郎ちゃん!俺のリクエスト聞いてくれたのね!その優しさを愚弟にも分けてあげて欲しいよ」そう無邪気に破顔した。
太郎は相変わらずの叔父に辟易しながら振り返る――久しぶり、といいつつおよそ二ヶ月周期で帰省する秋寅は、やはり帰省する度に太郎の許へ顔を出す。
「また女性に振られたんですか、秋寅叔父さん」
辰史が以前「あいつが帰って来るのは大抵女に振られた時だ」と自分に恋人がいないのを棚にあげ意地悪く笑っていたことを思い出して、太郎は何気なく訊ねる。辰史とは違う意味でアレな叔父だが、顔はどちらかと言えばきつめの辰史より女性に好まれそうな優男風であるし、性格も少々騒々しいがその人懐こさは女性から嫌われるものではないだろうに、と実際は疑う気持ちの方が強かったのだが――問うた瞬間に、秋寅の頬がひくり、と引き攣った。
「え、なんで知ってるの。丑雄従兄さんから聞いたわけ?やだなー丑雄従兄さんてば口が軽いんだから」
「ええっ、本当に傷心帰省なんですか!?」
驚いて問い返す太郎に、秋寅はおよよ、と板の間へ崩れ落ちる。
「それがさぁ、聞くも涙語るも涙。まあいろいろあって、麗麗ちゃんと別れたわけよ」
「はあ」
――どちら様ですか、麗麗ちゃんとやらは。
「ああーもう俺って可哀想!よりによって寝取られとかなくね?俺自分では結構巧い方だって思ってたんだけど」と生々しい愚痴を零し始めた叔父に太郎はげそりとして「秋寅叔父さん」と、その言葉を遮った。
「ん?」
秋寅の瞳が、太郎を捉える。
「ちょっと相談に乗って欲しいんですけど」
「何?恋愛相談?」
「いや、よりによって秋寅叔父さんに恋愛相談とか、無いでしょう。この箱の中身を見て欲しいんです」
さりげない甥っ子の毒にがくりと肩を落としながら秋寅は太郎から箱を受け取った。〈SHIN〉――という通販ショップのブランド名に、眸を大きくしたのは秋寅がその店を知っている為である。
「これ、中国の通販ショップだよ」
「中国ですか?」
「うん。何度かバイヤーさんと一緒に仕事したことあるし、うちの商品も偶に扱ってもらったりしてる」
「これ、太郎が買ったの?」と問われて太郎は首を左右に振った。
「いえ、叔父さん――辰史叔父さんが」
「辰ちゃんが?」
秋寅からしても意外だったらしい。ふうん、と面白そうに呟いて、秋寅は再びその箱を調べ始める。蓋に彫られた天体図と、箱の底に書かれていた文字を見て秋寅は納得したようににこりと頷いた。
「なるほど。これは辰史が好きそうだわ」
「と、言うと?」
「少し前に向こうで流行ったんだよ。〈耳中人〉って言ってさ、まあ西洋呪術で言う人工精霊みたいなもん?量産品だから使えるのは一回きり。わりとちゃちいけど、まあちょっとした仕返しくらいになら使えるかな的な。『聊斎志異』の〈耳中人〉が元ネタらしいんだけどね」
ぺらぺらと喋りながら秋寅はジーンズのポケットからセーマンドーマンの印された一枚の札を取り出して蓋へぺたりと貼り付けた。「開けるよ」と気楽にも言って、躊躇いなく金具を外す。
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