うん?何だ、君は。
 私こそ何だって?君には私の姿がみえるのか。この、キャベツの上のいと小さき者の姿が。珍しい。人間に声をかけられたのは実に三年と半年ぶりだ。
 お嬢さん――ええと、名前は?え?名を問う時には自分から名乗るものであると兄さんが言っていた?
 いや、これは失礼。君の兄さんとやらは実に正しい。むやみやたらに自分から名乗るものではないからね。名というのは万物全てが等しく持つ弱点だ。真実の名を知られることは鋭い刃を喉元に突き付けられたも同然だ。それで、何を話そうとしていたのだったか。ああ、そうだ。私の名か。
 実のところ私に人から呼ばれるべき明確な名は無いのだ。先程は、名は万物に等しく与えられていると、言ったではないか、と?まあ、そう先走らずに聞きたまえ。確かに私にも名はある。――しかし、種族の違う君たちの言葉で私の名を表すのはとても難しい。
 ふむ。それでも名乗らぬというのは確かに君に対して礼を欠く。正確な名でなくとも良いのならば、教えよう。三年と半年前に私は人間の娘に出会っている。君よりも少しばかり歳は上であったようだが。その娘は私をこう呼んだ。――アジター。
 とある貴き方に仕えるか弱き者だ。主君の名を口にすることは勘弁して貰いたい。まあ、君らに倣って言うなら、ある場所で大公と呼ばれるような身分の方であるのだ。私など彼の方のお怒りに触れればコキュートスの最下層にまで落とされることなど造作もなかろう。あそこはいけない。酷く寒い上に、いと気高き御方がいつでも睨みをきかせている。
 おっと、また話が逸れてしまった。すぐに話を脱線させて無駄に引き延ばすのが私の悪い癖だと主君からもよく言われるのだ。申し訳ない。
 それで、君の名は?
 Jannet?junne?――おお、ジャンヌ!どこかで聞いた名だと思ったら、あの娘と同じ名か。ジャンヌ・ダルク。ラ・ピュセルと。
 ラ・ピュセルとは誰だって?
 君はラ・ピュセルを知らないのか、ジャネット。あのオルレアンの白き乙女を。いや、私があの娘に出会ったすぐ後に彼女は処女ではなくなってしまったが――。ここはドン・レミの村に近いというのに嘆かわしいことだ。いや、意外にそういうものなのかもしれないな。彼女のしたことは偉大であるが、確かに君たちからしてみれば然程重要なことでもなかろう。統治者が変わろうが変わるまいが農民の生活は全く変化しないものであるからな。
 うん?
 ラ・ピュセルのことを詳しく知りたいと?
 ・・・確かに君はどこかラ・ピュセルに似ているようにも思える。よかろう。君が私を見たのも何かの縁だろう。私も久々に誰かと話がしたいと思っていたところだ。何せ我が主は私が口を開くと苦い顔をするのでね。
 ――次の満月の夜にここに来給え。
 いいかい?誰にも言ってはいけない。
 今は、駄目だ。私はこれから一仕事しなければならぬのだ。暇そうに見えるだろうが、実のところこれでも中々に忙しい身なのだよ。
 何の仕事をしているのかって?それは、君に言っても判るまい。君のような、まだ労働や信仰に励む必要のない幼き者には知る必要の無いことだ。
 では、次の満月の夜に、また。いいかい?しつこいようではあるが、決して他の者には言わぬことだ。それが例え君の良くできた兄さんであっても、ね。



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