では、四年もの間、彼の聖女に全く興味を抱くことのなかった私が何故唐突に彼女に会いに行こうと思い立ったのかといいますと、これまた親友のカイムから興味深い話を耳にした為でした。



 当時フランスはイングランドの猛攻に砦を次々と落とされ、オルレアンの町などは完全にロワール河の南側から切り離されてしまったという有様でした。オルレアンの私生児(バタール)、あのアザンクールの戦いで捕虜となったオルレアン公の異母弟であるジャンが、鰊を大量に積んだイングランド軍の輸送部隊を襲撃し、逆に惨敗を喫したという不名誉な戦は私の記憶にも残っております。何故なら、やはり鶫の姿をしていることの多いカイムが嬉々として、あの戦での収穫を語った為なのです。
 それまでイングランドとフランスの戦などには全く興味の無かった私も――と、いうのは、後にイングランドとフランスの長く激しい戦いが百年戦争と呼ばれるように、飽きることなく続けられる不毛な戦に見ているこちらが飽きてきた為でもありました。全く進展の見られない演劇を見せられて欠伸を噛み殺さねばならない観客という立場が、実のところ私にとっては一番憎むべき役なのです。折しもその頃は丁度此処、地の底にてアスモデウス公とベルフェゴール公の論争が話題になっておりましたから、そちらへ参加した方が遙かに有意義であると地上の動向になど気に留めてもおりませんでした。

「ああ、そういえばアスモデウスとベルフェゴールがそのような争いを起こしたこともあった。懐かしい話だ。全くあ奴らときたら普段から決して仲が良いとは言えぬものの、互いの主張を相手に認めさせんと躍起になるものだからいけない。ベルフェゴールなどは怠惰な奴にしては己の論の正しさを確認する為に地上にまで出かけていったのであったな」

 地獄の大公は小さな己の配下の言葉に、当時を思い出したように瞳をどこか遠くへと向けて深く嘆息した。長い睫毛が白皙の頬に影を落とす。憂いを帯びた表情は、この世の誰より美しく、見る者に感嘆の吐息を零させる程である。麗しき炎の戦車を操る悪魔は、虚無を紡ぐその薄い唇から艶めかしい赤き舌を覗かせながら、「結局あの論争には決着が付かずに私が二人の間に入る羽目になったのだ」と再度溜息を吐きだした。

「あの二人を宥めることは、私の弁術を持ってしても難しい。ベルゼブブなどは言ったものだ。<あの二人を諌めることができるのは、我らが王のみであるが、あの二人を丸め込むことができるのは広き地底を探してもお前以外には居るまいよ、ベリアル>と」

 そのようにベリアル様をあの御二方へけしかけることができるのも、ベルゼブブ公しかいますまいいいだだだだ、何をなさるのです我が主!多情にして優雅で放埓な君!
 私はただほんの少しベルゼブブ公の御慧眼を讃えたに過ぎませんのに!
 え?何?お前のその物言いでは私がまるでベルゼブブの言葉に踊らされたようではないか、と?何を仰います、ベリアル様。私はそのような不敬を申し上げたつもりなど御座いません。
 ――もう良いから続きを話せ?
 これはこれは申し訳ありません。
 そうです。地上の動向など気にも留めていなかった私に、カイムがその鰊の話ともう一つ、百合と天使の描かれた純白の旗を掲げさせて白馬に跨る勇ましき乙女を見たのだと語ったのでした。
 その乙女を、追い詰められたオルレアンの民が松明を掲げ出迎える様は異様であったといいます。たかが一人の乙女、力無く見える華奢な乙女、無謀なその乙女を見る民衆の目つきはまるで降臨する神の御使いを目の前にしたようなものであった、とカイムは実に面白げでありました。
 ――Agitator、滑稽じゃないか。実に滑稽だ。相手はまだ十七の小娘だ。ミカエル卿が一枚噛んでいるらしいが、俺には生贄に捧げられた祭壇の上の子羊にしか見えないぜ。ああ、哀れだ。
 そう言ってキキキっと鶫の鳴き声にも似た声でしばらく笑っていたのを覚えております。

 カイムから乙女の話を聞いた私は、そこでようやく四年前に己が遭った災難を思い出したのでした。即ち、ドンレミの村にミカエル卿が現れたあの不快な日のことを。私が大天使の気に中てられ養生をせねばならなくなった日のことを。